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銅鏡出土 卑弥呼から直接授与か 被葬者「倭王か副総理格」(産経新聞)

 大量の鏡が出土した桜井茶臼山古墳(奈良県桜井市)。出土品には中国の年号「正始元年」(240年)と刻まれた鏡と同じ鋳型製の鏡片も含まれていた。同年は邪馬台国の女王・卑弥呼が中国皇帝から金印や鏡を受け取ったとされる倭国の“メモリアルイヤー”。被葬者が卑弥呼から直接譲り受けた可能性もあるという。

  [フォト]発見された三角縁正始元年陳是作同向式神獣鏡の一部

 「正始元年鏡は卑弥呼が中国から授与された可能性が極めて高い」と指摘するのは、福永伸哉・大阪大大学院教授(考古学)。桜井茶臼山古墳を280年代築造とし、「被葬者が正始元年当時に20代で、60~70歳で亡くなったとすれば、生前に卑弥呼から鏡を直接もらったとも考えられる。邪馬台国と大和政権を結びつける重要な史料」と話す。

 魏志倭人伝は「中国皇帝が『大刀や銅鏡などを汝(なんじ)(=卑弥呼)の国中の人に示せ』と伝えた」と記す。卑弥呼は、皇帝の権威を帯びた鏡を地方勢力に配布して求心力を高めたという。福永教授は「被葬者は、倭王か現在の副総理格の人物だったのでは」と推測する。

 卑弥呼が活躍したころの中国は「三国志」で知られる魏、呉、蜀(しょく)が台頭。卑弥呼が魏に送った使者が日本に戻ったのが正始元年だった。

 近藤喬一・山口大名誉教授(考古学)は「卑弥呼は、いち早く朝貢して恭順の意を示し、中国の後ろ盾で権力の安定を図ろうとした。卓越した外交能力の持ち主だった」と指摘。「年号は国家の独立や正統性を示すもので、魏の年号の刻まれた鏡を持つ被葬者は、歴代の王の一人」と話す。

 一方、卑弥呼の鏡説に否定的な菅谷文則・橿原考古学研究所長は「魏では年号の入った鏡はほとんど見つかっておらず、正始元年鏡は日本で作られた」と反論する。ただ大量の鏡の副葬については「まさに大王墓」と話した。

 また、鏡は指先大ほどの細片として発見された。貴重だったはずの鏡をめぐる“バラバラの怪”に専門家の意見も分かれる。

 樋口隆康・京都大名誉教授(考古学)は「いくら盗掘で荒らされても、これほど粉々に壊されるはずがない。最初から破片を納めたのでは」と指摘。一方、橿原考古学研究所では「石室には当初、鏡がびっしりと置かれていたはず。盗掘者が足を踏み入れた途端に踏みつぶした可能性は十分ある」と話した。

【用語解説】桜井茶臼山古墳

 奈良盆地東南部にある古墳時代前期の前方後円墳。陵墓には指定されていない。近くには邪馬台国(やまたいこく)の有力候補地・纒向(まきむく)遺跡が広がっている。竪穴式石室には重さ200キロ以上の水銀朱が塗られ、木棺が納められていた。

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